銚子市の おすすめ人気 手コキ風俗店

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銚子市の おすすめ人気 手コキ風俗店

回春エステ〜蜜の味〜

エステ・回春 (手コキあり) 10:00〜翌5:00 70分 / 13,000円~ 銚子発・近郊 出張 080-6292-6539

銚子市に別エリアから派遣可能な手コキ風俗店

千葉アロマプリンセス

エステ・回春 (手コキあり) 10:00~翌6:00 60分 / 10,000円~ 千葉栄町発・近郊 (銚子市 派遣OK) 出張 043-223-7343

千葉の回春なら【千葉アロマプリンセス】千葉駅周辺や栄町を中心に性感マッサージを派遣する出張風俗エステ店です。18歳~26歳くらいまでの可愛い女の子や綺麗めなお姉さんを厳選!風俗業界に慣れていない素人な女の子が毎日入店中!初々しいプリン

千葉メイドリーム(ユメオト)

メイド系デリヘル (手コキあり) 10:00~翌6:00 45分 / 14,000円~ 千葉栄町発・近郊 (銚子市 派遣OK) 出張 043-223-6868

『千葉メイドリーム』は、18歳から23歳までの可愛いメイドをお届けいたします!JR総武本線千葉駅、東千葉駅周辺を中心に派遣。従来のイメクラ店とは一線を画した「本物のメイド感覚」「本物の恋人感覚」をご堪能ください。

千葉はじめてのエステ

エステ・回春 (手コキあり) 10:00~翌6:00 40分 / 8,500円~ 千葉栄町発 (銚子市 派遣OK) 出張 043-306-4551

船橋アロマヴィーナス

エステ・回春 (手コキあり) 12:00~翌2:00 60分 / 16,000円~ 船橋・幕張発 (銚子市 派遣OK) 出張 043-309-7080

千葉★出張マッサージ委員会Z

エステ・回春 (手コキあり) 17:00~翌5:00 60分 / 9,000円~ 船橋発・近郊 (銚子市 派遣OK) 出張 047-495-0365

千葉ミセスアロマ

エステ・回春 (手コキあり) 10:00~翌6:00 70分 / 9,000円~ 千葉栄町発 (銚子市 派遣OK) 出張 043-223-7343

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銚子市エリアの特徴

銚子市(ちょうしし)は、千葉県北東部の市。関東地方の東端に位置し、日本列島で最も早く初日の出が昇る。水揚数量が日本最大である銚子漁港を擁し、国内有数の規模と機能を有する水産都市として重要な役割を果たしている。江戸時代元和年間より続く醤油の銘醸地でもあり、市内には醤油製造工場が集積する。香取海匝地域最大の人口集中地区を有し、同地域における政治・経済の中心都市である。 概要 犬吠埼からの日の出 太平洋に突出し三方を水域に囲まれており、日本列島で最も早く初日の出が昇る街である。沖合は黒潮と親潮が交わる好漁場で、国指定の特定第3種漁港である銚子漁港は全国から漁船が入港する水産物流通基地の役割を担っており、水揚数量は28万トンを超え日本最大を誇る。利根川河口沿岸には埋立地が造成され、 3箇所の卸売市場を中心として水産加工場、水産物冷凍冷蔵庫、製氷工場、関連運送業者、鉄工所、造船所等が集積し、巨大な冷蔵能力及び冷凍能力を有しており、全国の消費地と直結可能な地理的優位性もあって、名実ともに日本随一の水産都市として発展している。銚子市沖で漁獲される「銚子つりきんめ」は、千葉ブランド水産物第1号に認定された高級魚である。江戸の食文化を生んだ関東風濃口醤油が発祥した醤油の銘醸地でもあり、街の中心部には国内トップクラスの大手醤油製造会社であるヤマサ醤油(業界2位)、ヒゲタ醤油(業界4位)の主力工場が立地し、日本国内における醤油の一大生産拠点となっている。各社では、蓄積されたバイオテクノロジー技術を応用し、核酸関連物質を利用した医薬品・化成品等の研究開発を進めている。 国や県の出先機関の他、金融機関の本店・支店等が集中し、香取海匝地域における政治・経済の中心都市となっており、DID(人口集中地区)人口、財政力指数、製造品出荷額、商圏規模はいずれも同地域最大である。県庁所在地以外の都市で地方気象台が設置されている全国4自治体の一つである。 銚子半島に人間が暮らし始めたのは、約1万5千年から2万3千年前の旧石器時代であり、市内の粟島台遺跡や余山貝塚からは多くの縄文土器や骨角器が出土している。平安時代には千葉氏の支族である東氏・海上氏がこの地を領有するようになり、建久年間に千葉常衡が船木郷に海上氏の本拠地として中島城を築城している。 江戸時代に入ると東廻り海運と利根川水運が確立したことで、海運関連業を中心に上方から伝わった鰯漁や醤油醸造、各種商工業が盛んとなり、東国屈指の港湾都市として発展した。坂東三十三箇所二十七番札所である飯沼観音の門前町として諸国から巡礼者や納経者も集まった。明治以降は犬吠埼灯台の点灯、日本初の無線電信局である銚子無線電信局の開局、総武本線・成田線の開通、近代的漁港の建設等が進み、1933年(昭和8年)に市制を施行、千葉市に次ぐ千葉県第2の市として銚子市が発足した。 第二次世界大戦末期の銚子空襲で市中心部は壊滅状態となり、戦後の戦災復興都市計画により幹線道路・公園等が整備されて銚子市の都市基盤が形成された。高度経済成長期以降は銚子大橋の開通、銚子漁港の大型基地化、名洗港の整備、これらに伴う食品製造業の発展、海岸地域の観光開発、豊里ニュータウンの建設等が進んだ。平成に入ってからは千葉県の房総リゾート地域整備構想における重点整備地区として、観光施設や道路網の整備が実施された。名洗港内にはクルーザー等1000隻を収容する銚子マリーナ、海浜緑地公園、人工海浜等が整備され、サーフィンやイルカウォッチング、シーカヤック等のマリンレジャーの基地となると共に、太平洋岸のクルージング・ネットワークの拠点機能を果たしている。 銚子半島の海岸部は国定公園に指定されており、関東最東端の岬である犬吠埼や東洋のドーバーと称される断崖絶壁が続く屏風ヶ浦、日本の渚百選に選定された君ヶ浜、北総地域最高峰の愛宕山等、数多くの景勝地を有する観光都市であり、東京・銚子間には特急列車「しおさい」が運転されている。犬吠埼には化石海水の源泉が湧出し、ホテルや旅館が立ち並んで犬吠埼温泉郷を形成している。毎年8月には銚子の夏の風物詩である「銚子みなとまつり」が開催され、利根川河畔に約6000発の花火が打ち上げられる花火大会、約1000人の担ぎ手による神輿巡行が行われ銚子の街は祭り一色となる。 横浜・北米間を航行する貿易船の安全確保のため、英国技師リチャード・ブラントンのもと明治初期に建設された犬吠埼灯台は、国産煉瓦を使用した最古の西洋式灯台として歴史的文化財的価値が高く、国の重要文化財、近代化産業遺産、海上保安庁のAランク保存灯台に指定されている。世界灯台100選に選定されており、参観可能な灯台としては日本最多の参観者数となっている。 千葉県唯一の日本ジオパークである銚子半島は日本の地質体を大きく二分する「東北日本」「西南日本」の境界付近に位置し、東関東で唯一中生代ジュラ紀から白亜紀の基盤岩が露出しており、アンモナイト、トリゴニア等の化石や琥珀が多産する。犬吠埼は1億2000万年前に形成された地層であり、この時代の浅い海の海底の痕跡を数多くみることができる学術的に貴重な地層で「白亜紀浅海堆積物」として国の天然記念物に指定されている。 変化に富んだ独特の自然景観から、江戸時代には数々の文人墨客や浮世絵師が東国三社参詣とあわせて銚子の磯巡りに訪れ、文学作品や絵画の題材となった。明治時代からは避暑や海水浴に訪れる人も多くなり、犬吠埼周辺には伏見宮貞愛親王別邸瑞鶴荘をはじめ、多くの著名人の別荘が構えられた。作家・国木田独歩出生の地であり、海岸には銚子ゆかりの文人墨客の歌碑、詩碑が多く立っている。 年間平均気温は15度で最高気温と最低気温の差は6度前後と夏涼しく冬暖かい気候であり、避暑や避寒に適している。気候を生かした農業も盛んで、生産量が日本一の春キャベツをはじめ、ダイコン、トマト、メロン、スイカ、イチゴ等が栽培されている。 銚子市沖は遠浅の地形が続き、年間を通して風が強いことから、国の「再エネ海域利用法」に基づく洋上風力発電の促進区域で、三菱商事を中心とする千葉銚子オフィシャルウィンドが洋上風力発電施設31基を建設し、2028年(令和10年)9月に運転を開始する見込みであり、銚子市は漁業や環境との調和のもと、市内企業のメンテナンス関連産業参画のための基盤整備や名洗港への金属加工業等の企業集積支援、地域循環型スマートコミュニティ構築による自然災害に対するレジリエンス強化、メンテナンス人材の育成、更には新たな景観資源としての活用による交流人口・関係人口増加等に取り組み、次世代エネルギー産業の先端都市としての発展を目指している。 施設 警察 銚子警察署 銚子警察署は1878年(明治11年)に八日市場警察署銚子分室から銚子警察署として独立し設置された。1947年(昭和22年)11月には銚子市警察として発足し、翌年から機構・施設等が整備されたが、1954年(昭和29年)6月をもって廃止され、千葉県警察に移管となった。同年7月施行の新「警察法」により千葉県銚子警察署が発足し、1973年(昭和48年)4月には春日町の新庁舎に移転した。管轄区域は銚子市全域で、職員数は約100人である。 銚子市の犯罪発生率は1.101パーセントで、千葉県内59自治体のうち48位であり、銚子市の治安は比較的良好である。 警察署 銚子警察署(銚子市全域を管轄) 交番・駐在所 中央交番 銚子駅前交番 海鹿島駐在所 犬吠埼駐在所 椎柴駐在所 高神駐在所 外川駐在所 豊岡駐在所 豊里駐在所 猿田駐在所 本城駐在所 松岸駐在所 消防 銚子市消防本部 銚子市消防本部は1949年(昭和24年)1月施行の「銚子市消防組織条例」に基づいて銚子市役所内に設置された。その後、消防本部組織の拡充、消防職員の階級の改正・細分化、係制から課制への移行等が進められた。2017年(平成29年)には新庁舎が唐子町に完成し、消防本部・消防署を同所に移転した。 常備消防は消防本部と消防署(分署含む)に大別され、職員113人、20台の消防車両をもって消防事務にあたる。消防本部は消防総務課及び予防課の2課15名で構成され、主に予算、人事、施設管理等の総務事務に加え、消防団事務や救急業務高度化推進に係る警防事務、並びに消防関係法令に基づく危険物規制事務や消防設備事務をはじめ専門的な事務を担当する。消防署は本署に消防隊、救助隊、救急隊を配置し、常備14人から17人の人員を確保して災害対応の中枢的な役割を担う。また、出先機関として2箇所の分署を設置している。消防団は最高責任者である消防団長の下、11分団、人員510人、ポンプ自動車等車両39台を配備している。 本部 銚子市消防本部(銚子市全域を管轄) 消防署 銚子市消防署 東部分署 西部分署 消防団(全9分団) 第一分団 旧高神村及び潮見町地区 第二分団 旧本銚子町地区 第三分団 旧銚子町、旧豊浦村及び大橋町地区 第五分団 旧西銚子町地区 第六分団 旧海上村地区 第七分団 旧船木村地区 第八分団 旧椎柴村地区 第九分団 旧豊里村地区 第十分団 旧豊岡村地区 第十一分団 銚子市全域 医療 銚子市立病院 銚子市には開業医が多く、医師会員は約40名で、4つの病院と36箇所の診療所を経営している。銚子市の休日当番医に参加している医療機関は約20で、その他夜間小児急病診療所や特定健診、その他の委員会等で活動しており、市における医療保健活動の中心的存在となっている。役割としては、診療所では外来を中心とする初期診療や在宅診療を、病院は急性期病院の他、リハビリや療養を担うケアミックス病院、また老人保健等の介護事業を担っている。 二次医療圏(二次保健医療圏)は香取海匝医療圏(管轄区域:香取地域・海匝地域)であり、三次医療圏は千葉県医療圏(管轄区域:千葉県全域)である。 緊急告示病院 島田総合病院 たむら記念病院 その他の病院 銚子市立病院 内田病院 兒玉病院 郵便局 銚子郵便局 銚子郵便局は1872年(明治5年)7月、海上郡荒野村に荒野郵便取扱所として開設され、電信局と合併後1903年(明治36年)に銚子郵便局と改称し、特定三等郵便局、二等郵便局を経て1941年(昭和16年)から2007年(平成19年)の郵政民営化まで普通郵便局であった。1998年(平成10年)には新局舎が開局している。 直営郵便局 銚子郵便局 本通郵便局 銚子南町郵便局 銚子本町郵便局 銚子植松郵便局 銚子愛宕郵便局 外川郵便局 銚子本城郵便局 簡易郵便局 銚子余山簡易郵便局 銚子小浜簡易郵便局 図書館 銚子市公正図書館 銚子市公正図書館 銚子市公正図書館の前身は、1924年(大正14年)4月設立の財団法人公正会の活動拠点であった公正会館内に開設されていた図書館であった。この公正会館が1948年(昭和23年)3月に銚子市に寄贈された後、その1階にあった書庫・閲覧室の図書館部分が「銚子市公正図書館」として開館した。1983年(昭和58年)には市制施行50周年記念事業の一環として新築開館した。2022年(令和4年)1月には、「銚子市電子図書館」がサービス開始となった。 千葉科学大学図書館 2005年(平成17年)4月に開館した千葉科学大学の図書館新館。学生及び教職員の他、一般銚子市民も利用可能である。 博物館 犬吠埼灯台資料展示館 犬吠埼灯台敷地内の灯台資料展示館。犬吠埼灯台の初代レンズ(フランス製・フレネル式第1等8面閃光レンズ)、同灯台設計建設指揮者のリチャード・ブラントンの資料、灯台の歴史、航路標識事業の紹介資料等を展示。 ヤマサ醤油しょうゆ味わい体験館 ヤマサ醤油工場見学施設。醤油醸造の歴史・道具を展示する他、売店や体験コーナーが併設されている。ツアーでは原料サイロ、麹室、仕込蔵等の見学や醤油醸造過程のバーチャル体験ができる。 ヒゲタ醤油史料館 ヒゲタ醤油工場内の史料館。醤油醸造の設備・道具・容器・博覧会受賞メダル、会社年表、製品200点を展示。醸造蔵内に描かれたフレスコ画の大壁画「天地人」が見学できる。 外川ミニ郷土資料館 銚子市外川の歴史、方言、民話資料の他、昔の漁師が使用した漁具、銚子で発掘された化石、万祝、絵葉書等を展示。 新国立劇場舞台美術センター 新国立劇場で主催公演したオペラ・バレエ・現代舞踊・演劇等の舞台模型、舞台衣装、小道具等の舞台関係・映像資料等の展示を行う。展示ホールでは新国立劇場の主催公演にあわせ、3か月ごとに舞台衣装の展示替えをし、また年に1回の企画展を行っている。 銚子市ジオパーク・芸術センター 銚子の自然・産業・歴史・考古学・ジオパーク関係の資料、粟島台・余山遺跡出土品を展示する。企画ギャラリー、市民ギャラリー、市民アトリエ等も備える。 濱口陽三・渡辺学常設展示室 銚子にゆかりの深いメゾチント版画家濱口陽三の16点の版画作品と銚子出身の日本画家渡邉學の作品12点を市民センターに常設展示する。 犬吠埼灯台資料展示館 犬吠埼灯台資料展示館 ヤマサ醤油工場に展示されている「オットー機関車」 ヤマサ醤油工場に展示されている「オットー機関車」 ホール・コミュニティセンター 銚子市青少年文化会館 市民会館 - 地域の芸術文化の向上を目的とし、各種舞台芸術の鑑賞並びに音楽、演劇、舞踊等の発表の場として、また市民の集会の場としても活用できる施設である。 児童文化センター - 少年に対し科学知識の普及、実験実習の場の提供、情操の涵養、生活指導等を行い、健全な自発的活動の促進を図るための施設で、ホール・科学展示室・展示室・工作室・郷土資料室・天文台・プラネタリウム室等の設備がある。 都市青年の家 - 都市の青少年の日常生活に即した交友と研鑽の場を提供し、青年の研修・団体活動の助長を図るための施設で、会議室・談話室・学習室・実験実習室・視聴覚ライブラリー室・調理室・和室・プリント室等の設備がある。 都市青年の家、児童文化センター及び市民会館という3機能の総合施設として1971年(昭和46年)に開館した。市民会館としての主要施設は、劇場としての本格的な設備を持つ大ホールである。青少年のための社会教育施設であると共に、一般市民利用のための貸会場の性格もあわせ持つ文化会館であり、銚子市における芸術文化の中心施設となっている。 銚子市市民センター 2001年(平成13年)に公民館機能を中心に生涯学習や地域コミュニティ活動の拠点として開設し、会議室、和室、調理実習室、企画展示室、常設展示室、プレイルームの他、約300人収容の多目的ホール、防音の音楽広場、スタジオ、マルチメディアスペース、陶芸等を行う創作棟を備える。 銚子市勤労コミュニティセンター 市役所敷地内に所在し、市内一円の勤労者の福祉とあわせて近隣住民の利便に供する共同施設として整備された。 地区コミュニティセンター 銚子市中央地区コミュニティセンター 銚子市東部地区コミュニティセンター 銚子市高神地区コミュニティセンター 銚子市西部地区コミュニティセンター 銚子市海上地区コミュニティセンター 銚子市豊里地区コミュニティセンター 銚子市には地区コミュニティセンター6館が整備されており、会議室、集会室、多目的ホール、調理室、和室等を備え、地域住民の自主的な学習や地域活動の拠点として利用しやすいように、地元に管理の一部を委託している。 銚子市中央地区コミュニティセンター 銚子市中央地区コミュニティセンター 銚子市農村広場やすらぎの家 銚子市豊岡農村婦人の家 青年館 銚子市南町⻘年館 銚子市植松町⻘年館 銚子市本城町⻘年館 銚子市黒生町⻘年館 銚子市余山町⻘年館 銚子市春日町⻘年館 銚子市⻑塚町⻘年館 銚子市高神⻘年館 銚子市上野町⻘年館 銚子市三崎団地⻘年館 銚子市和田町⻘年館 銚子市海鹿島町⻘年館 銚子市浜町・田中町⻘年館 銚子市茶畑町⻘年館 銚子市三宅町⻘年館 銚子市大橋町⻘年館 銚子市三崎町⻘年館 銚子市常世田町⻘年館 銚子市海鹿島町⻄⻘年館 銚子市海鹿島町南⻘年館 銚子市東町・飯沼町⻘年館 銚子市柴崎町⻘年館 銚子市前宿町⻘年館 銚子市明神町⻘年館 銚子市犬若⻘年館 銚子市岡野台町⻘年館 銚子市は26館の青年館を有し、その全てについて管理の一部を地元町内会等に委託して円滑・有効な運営を図っている。いずれの青年館についても、地域における青少年健全育成や町内会、老人会、婦人会といった住民共同利用等、町内単位のコミュニティ活動の場として利用されている。 集会所 栄町町内会集会所 後飯町町内会集会所 ⻄部集会所 公園 君ヶ浜しおさい公園 銚子市において、都市計画公園13園、都市公園12園、公園等施設11園である。都市計画公園は、戦災復興都市計画による街区公園8園及び近隣公園3園並びにその後都市計画決定された運動公園2園である。都市公園は、豊里台第一公園をはじめ街区公園9園、近隣公園1園、都市緑地1園及び風致公園1園で、都市計画決定しなかった公園である。また、その他の公園施設としては、1ヘクタール未満の小規模公園・広場8ヶ所、児童遊園3ヶ所、長塚町運動広場、夫婦ヶ鼻公園及び君ヶ浜しおさい公園がある。 河岸公園 本通公園 清川町第一公園 清川町第二公園 三軒町公園 唐子町公園 本城第一公園 本城第二公園 桜井町公園 中央みどり公園 東部不動ヶ丘公園 大谷津公園 上野町公園 豊里台緑が丘公園 豊里台第一公園 豊里台第二公園 豊里台第三公園 豊里台第四公園 豊里台第五公園 豊里台第六公園 豊里台プレイロット 新生公園 夫婦ヶ鼻公園 君ヶ浜しおさい公園 高神公園 松本町公園 末広町広場 河岸ポケット広場 長塚町運動広場 猿田コミュニティ広場 東部児童遊園 松岸児童遊園 外川児童遊園 スポーツ施設 銚子スポーツタウン 銚子市におけるスポーツツーリズム活性化を図るため、スポーツ合宿や企業研修、企業運動会等に対応する宿泊・スポーツ施設として2018年(平成30年)にオープンした。グラウンド2面、体育館、宿泊施設を併設し、第三セクターである株式会社銚子スポーツタウンが管理運営にあたっている。 銚子市スポーツコミュニティセンター 柔剣道場(2面)、弓道場(5人立射座)、和室集会場、ホールを有し、武道練習・大会会場として、また地域住民の集会施設としても利用されている。 銚子市体育館 銚子市野球場 銚子市庭球場 豊里台多目的スポーツ広場 福祉施設 銚子市保健福祉センターすこやかな学びの城 銚子市における各種健康診査・検診・保健指導等の保健福祉事業を実施する総合的・一体的な施設として2006年(平成18年)に開設した。設計や運営にあたってはワークショップを開催し、市民の意見を施設の機能・構成に反映させている。 銚子市児童発達支援センターわかば 銚子市老人憩の家・地域福祉センター 銚子市芦崎高齢者いこいセンター 障害者就労継続支援B型事業所 障害者就労継続支援B型・生活介護事業所 千葉県東総大学校東総学園 保育園・保育所 市立 銚子市第二保育所 銚子市第三保育所 銚子市第四保育所 銚子市海鹿島保育所 社会福祉法人立 銚子保育園 外川保育園 松岸保育園 銚子中央保育園 聖母保育園 東光保育園 萌保育園 地域子育て支援センター マンマ子育て支援センター ひまわり子育て支援センター えがお子育て支援センター 聖母マリア子育て支援センター 交通 鉄道路線 JR銚子駅 JR銚子駅構内 銚子市と市外を結ぶ鉄道は東日本旅客鉄道(JR東日本)の総武本線と成田線であり、銚子市を終点として市内に5駅設けられている。このうち総武本線には銚子発・東京駅直行の特急列車「しおさい」が運転されている。銚子運輸区は東日本旅客鉄道千葉支社の運転士・車掌が所属する乗務員基地である。銚子駅からは私鉄の銚子電気鉄道線が外川駅まで通じている。 中心となる駅:銚子駅 東日本旅客鉄道(JR東日本) 総武本線は1894年(明治27年)7月に民営の総武鉄道株式会社が市川・佐倉間を開業したのに始まり、1897年(明治30年)5月に本所(現錦糸町)・銚子間が開通し、その後両国橋(現両国)・錦糸町間が開通した。 成田線は1897年(明治30年)1月に民営の成田鉄道株式会社が佐倉・成田間の営業を開始し、1933年(昭和8年)3月に笹川・松岸間が開業して、銚子から佐原・成田回りで両国までの鉄道利用が可能となった。 ■総武本線 - 猿田駅 - 松岸駅 - 銚子駅 ■成田線 - 下総豊里駅 - 椎柴駅 - 松岸駅 ※銚子運輸区 特急しおさい(255系) 総武本線(209系2000番台・2100番台) 銚子運輸区 銚子電気鉄道(銚子電鉄) 1923年(大正12年)に銚子鉄道株式会社として設立開業した。戦後、企業再建整備法により、新旧勘定合併のため銚子電気鉄道株式会社と改称し、設立登記を行っている。営業キロ数は銚子駅構内から外川駅まで6.4キロメートルである。 銚子電気鉄道線 (全線市内)銚子駅 - 仲ノ町駅 - 観音駅 - 本銚子駅 - 笠上黒生駅 - 西海鹿島駅 - 海鹿島駅 - 君ヶ浜駅 - 犬吠駅 - 外川駅 仲ノ町車庫 バス路線 民間2社が国道・県道を中心に、銚子駅を発着点として、8系統の路線バスを市内各地区及び周辺地区で運行しており、海匝地域におけるバス交通の拠点となっている。鉄道を除く東京までの交通手段として東京駅の高速バスが3ルートあり、1日43往復86本運行している。 高速バス 「大阪 - 銚子線」、「利根ライナー」、および「犬吠号」も参照 南海バス 南海バス 犬吠号 犬吠号 大阪 - 銚子線は夜行、その他は昼行。 大阪 - 銚子線 ユニバーサル・スタジオ・ジャパン - 湊町バスターミナル(OCAT) - 南海なんば高速バスターミナル - 大阪駅前(桜橋口アルビ前) - 高速京田辺 - 京都駅八条口 - 秋葉原駅 - 四街道駅 - 富里バスターミナル - 京成成田駅 - 成田空港(第2ターミナル→第1ターミナル) - 発酵の里こうざき - 佐原駅北口 - 小見川 - 東庄 - 銚子駅(南海バス、千葉交通) 利根ライナー(佐原ルート) バスターミナル東京八重洲 - 酒々井プレミアム・アウトレット(一部の便) - 発酵の里こうざき - 佐原駅北口 - 高速香取市役所前 - 高速一の分 - 小見川駅 - 小見川 - 東庄 - 橘 - 豊里 - 高速松岸 - 銚子駅(千葉交通) 利根ライナー(小見川ルート) バスターミナル東京八重洲 - 酒々井プレミアム・アウトレット(一部の便) - 佐原香取(香取IC) - 高速小見川工業団地 - 小見川支所 - 小見川 - 東庄 - 橘 - 豊里 - 高速松岸 - 銚子駅 - 東芝町 - 陣屋町(千葉交通) 犬吠号(旭ルート) バスターミナル東京八重洲 - 大栄 - 栗源 - 山田 - 干潟 - 旭 - 旭中央病院東 - 海上 - 飯岡 - イオン銚子ショッピングセンター - 銚子駅 - 東芝町 - 陣屋町 - 犬吠埼 - 犬吠埼太陽の里(千葉交通、京成バス) 横芝光・旭ルート バスターミナル東京八重洲 - 横芝光IC - 八日市場駅 - 匝瑳市役所 - 干潟駅 - 旭 - 旭中央病院東 - 海上 - 飯岡 - イオン銚子ショッピングセンター - 銚子駅(千葉交通、京成バス) 路線バス 千葉交通バス 千葉交通バス ちばこうバス ちばこうバス 千葉交通(千葉交通銚子営業所) 市立高校・春日台線(銚子駅 - 農協前 - 清川町 - 春日町 - 市立高校前 - 市立高校坂上 - 春日台) 市立高校・春日台線(銚子駅 - 農協前 - 清川町 - 春日町 - 銚子警察署前 - 三崎団地 - 三崎 - 上野町南 - 上野町 - 本城団地入口 - 上野町東 - 春日台) 豊里ニュータウン線(銚子駅 - 農協前 - 銚子中学校 - 松本一丁目 - 大込 - 本城小学校 - 本城三丁目 - 長塚宮前 - 長塚町 - 五中前 - 教習所前 - 松岸駅前 - 柴崎十字路 - 四日市場町 - 余山仲町 - 余山 - 芦埼新田 - 中島通り - 芦埼 - 船木農協 - 富士正食品 - 西部支所 - 椎柴駅 - 滑川薬局 - 野尻 - 椎柴小入口 - 塚本町 - 忍町 - 東富川町 - 西森戸 - 森戸 - 豊里駅入口 - 七中前 - 豊里ニュータウン第一 - 舞台美術センター - 豊里ニュータウン第二 - 豊里台緑ケ丘公園 - 豊里台スポーツ広場 - 豊里ニュータウン第三 - 豊里ニュータウン第四) 旭銚子線(銚子駅 - 農協前 - 清川町 - 春日町 - 銚子警察署前 - 三崎団地 - 三崎 - 三崎新田 - 田村記念病院 - イオンモール銚子 - 特別支援学校入口 - 三崎三丁目 - 小浜新田 - 小浜 - 親田 - 常世田薬師 - 八木町 - 豊岡小学校 - 旧第八中学校 - 飯岡灯台入口 - 下永井 - 西部支所 - 東町 - 玉崎神社 - 野尻 - 飯岡農協 - 八軒町 - 平松 - 旭駅 - 飯岡観光センター - 飯岡支所入口 - 食彩の宿いいおか入口 - 田宿 - 三川曽根 - 三川目那 - 三川犬林 - 八畝田 - 横大道 - 網戸下宿 - 網戸中宿 - 網戸上宿 - 旭中央病院 - 旭中央病院入口 - 旭農高 - 旭駅入口 - 旭銀座) 名洗・千葉科学大学線(銚子駅 - 双葉小学校 - 妙見橋 - 西小川町北 - 西小川町中央 - 西小川町南 - 名洗入口 - 名洗 - 千葉科学大学マリーナ前 - 千葉科学大学本部前) ちばこうバス(京成タクシー成田) 川口線(銚子駅 - 双葉町 - 公民館 - 新生 - 陣屋町 - 銚子観音 - 浜町 - 田中町 - 和田町 - 橋本町 - 通町 - 川口一丁目 - 川口二丁目 - 明神下 - 川口千人塚 - 川口 - 夫婦ケ鼻 - 黒生住宅 - ポートセンター) 長崎線(銚子駅 - 駅前十字路 - 市役所前 - 本通一丁目 - NTT前 - 新生 - 銚子銀座 - 銚子観音 - 圓福寺前 - 文化会館入口 - 市立病院入口 - 前宿町東 - 市立病院 - 前宿町東 - 高神原 - 小畑入口 - 高神坂上 - 高神札場 - 高神西町 - 渡海神社 - 犬若 - 外川四丁目 - 外川漁業会 - 外川一丁目 - 老人憩いの家・こもうら荘 - 長崎西口 - 長崎国民宿舎) 海鹿島線(銚子駅 - 双葉町 - 公民館 - 新生 - 陣屋町 - 島田病院 - 後飯町 - 清水坂下 - 清水坂上 - 笠上駅 - 西海鹿島 - 金杉前 - 池の端 - 独歩碑前 - 海鹿島坂上 - 海鹿島) 海鹿島線(銚子駅 - 双葉町 - 公民館 - 新生 - 陣屋町 - 島田病院 - 後飯町 - 清水坂下 - 清水坂上 - 笠上駅 - 明神一丁目 - 黒生住宅入口 - 笠上入口 - 黒生 - とんび岩 - 伊勢路ケ浦 - 海鹿島) 外川線(銚子駅 - 双葉町 - 公民館 - 新生 - 陣屋町 - 島田病院 - 後飯町 - 浅間台 - 愛宕町四丁目 - 榊町 - 市民センター前 - 小畑 - 君ケ浜入口 - 池の端 - 宮内内科 - 犬吠 - ホテルニュー大新前 - 長崎入口 - 外川車庫) 関東鉄道(関東鉄道潮来営業所・波崎車庫) 鹿島神宮駅 - 鹿嶋宮中 - 住金鹿島 - セントラルホテル - 日川 - 土合中央 - 波崎営業所 - 銚子駅 矢田部公民館 - 土合中央 - 済生会土合クリニック前 - 波崎営業所 - 銚子駅 鹿島神宮駅 - 鹿嶋宮中 - 粟生 - セントラルホテル - 知手団地入口 - 土合北 - 波崎中央 - 銚子駅 知手団地南 - 知手団地入口 - ゆーぽーとはさき - 土合北 - 波崎中央 - 銚子駅 土合東電 - 土合北 - 銚子駅 銚子駅 - 波崎中央 - 仲町公園 - 波崎海水浴場 タクシー  銚子市内におけるタクシー業者は以下の通りである。 銚子タクシー 大丸タクシー ミナトミタカタクシー 平和タクシー アステル交通 道路 銚子大橋 銚子大橋 銚子新大橋有料道路 銚子新大橋有料道路 銚子市の主要幹線道路は、国道126号、国道356号、国道124号や広域農道が道路網の骨格で、域内は国道126号と国道356号をつなぐように県道や市道が整備されている。このうち最も主要な国道は千葉・銚子間を結ぶ国道126号であり、かつては銚子市と首都近郊を結ぶ唯一最大の道路であった。貨物輸送を始めその他の交通における大動脈としての役割は極めて大きい。銚子大橋前交差点は、国道126号とこれに次ぐ銚子市の動脈である国道356号及び水戸市に至る国道で、銚子市と茨城県を結ぶ最大の幹線道路である国道124号が集まる3国道の起点となっている。 広域幹線道路は、国道126号飯岡バイパス、東総広域農道、東総有料道路、東関東自動車道成田線、九十九里有料道路等が整備されている。2000年(平成12年)には銚子新大橋有料道路(利根かもめ大橋)が開通して茨城県側との更なるアクセス向上が図られると共に、交通量の増大、車両の大型化、塩害等に対応して銚子大橋架替事業が進められ、2013年(平成25年)に完了した。 高速道路(自動車専用道路)については銚子市から山武地域を経て首都圏中央連絡自動車道、千葉東金道路等と千葉市を結ぶ延長約30キロメートルの銚子連絡道路(松尾町〜銚子市間)が計画路線に指定され、既に開通した一期区間(松尾横芝IC〜横芝光IC)に続き、二期・三期区間の建設が進められており、開通後は銚子市から千葉市まで約1時間で到達可能となる。 市内の主要道路では、千葉県道244号外川港線が中心市街地と外川漁港を結び内陸部を南北に縦断し、千葉県道254号銚子公園線が中心部から海岸沿いを循環している。市の南西部には三崎町から屏風ヶ浦の台地を通って天王台に至る千葉県道286号愛宕山公園線が整備され、銚子公園線及び外川港線と結ばれている。平成以降は銚子海上線の拡幅整備、銚子公園線長崎周遊道路の開通、銚子駅前シンボルロード・本通りマイロード・銚子銀座通りココロードの整備等により、観光都市としての交通体系の整備が進められてきた。 有料道路 銚子新大橋有料道路(利根かもめ大橋有料道路) 一般国道 国道124号 国道126号 国道356号(利根水郷ライン) 主要地方道 千葉県道37号銚子停車場線 千葉県道71号銚子旭線 千葉県道73号銚子海上線 千葉県道74号多古笹本線 一般県道 千葉県道198号銚子波崎線 千葉県道211号飯岡猿田停車場線 千葉県道216号飯岡松岸停車場線 千葉県道244号外川港線 千葉県道254号銚子公園線 千葉県道286号愛宕山公園線(銚子ドーバーライン) 自転車道 千葉県道404号銚子小見川佐原自転車道線 橋梁 銚子大橋 利根かもめ大橋 千葉県道198号銚子波崎線 千葉県道286号愛宕山公園線 空港 千葉県成田市の成田国際空港(成田空港)が最寄りとなり、約40キロメートルの距離に位置する。東京都大田区の東京国際空港(羽田空港)へは約95キロメートルの距離に位置する。 成田国際空港(成田国際空港へのアクセスも参照) 鉄道:成田線にて銚子駅 - 成田駅(成田線空港支線へ乗換)- 空港第2ビル駅(成田第2・第3ターミナル)・成田空港駅(成田第1ターミナル)。 東京国際空港(東京国際空港へのアクセスを参照) バス:高速バスが銚子駅と東京駅を結ぶバスがある。 船舶 名洗港(避難港・地方港湾) 銚子マリーナ - 千葉県北東部における海洋性レクリエーション基地及び太平洋岸のクルージング・ネットワーク拠点として1990年(平成2年)度から整備が進められ、1999年(平成11年)4月に供用を開始した。 計画収容隻数 1000隻(海面440、陸上560) 整備状況 450隻(海面160、海面ディンギー20、陸上90、陸上ディンギー180)※海面:千葉県施行、陸上:銚子市施行 千葉県太平洋岸唯一の地方港湾であり、千葉県北東部の発展を図るための開発拠点港湾として、3000トン級船舶・小型船舶が接岸可能な岸壁、泊地、防波堤及び臨港道路等が整備された。房総リゾート地域整備構想における銚子マリン・リゾートの中核施設として、クルーザー等1000隻の収容能力を持つ銚子マリーナが1999年(平成11年)4月から供用されている。海岸事業では「ビーチ利用促進モデル地区」の指定を受け、離岸堤、突堤、遊歩道、人工海浜等の整備による屏風ヶ浦の観光資源性活用、隣接する銚子マリーナと一体となった快適な海岸環境の整備及び海岸防災を図っている。2020年(令和2年)7月には名洗港港湾区域の前面海域(約40キロ平方メートル)が再エネ海域利用法に基づく促進区域として国から指定を受けており、洋上風力発電事業のメンテナンス拠点港湾に指定されている。 観光 銚子市は夏涼しく冬暖かい海洋性気候であり、国定公園に指定されている犬吠埼や屏風ヶ浦といった景勝地の他、我が国有数の漁港である銚子漁港を有し、市外・県外から年間約250万人の観光客が訪れる観光都市である。太平洋に突出した半島状の地形、そして地質資産を核として大地の成り立ちが比較的容易・安全に学べる場所であることから、2012年(平成24年)に日本ジオパーク委員会により銚子市全域が「銚子ジオパーク」に指定されている。また、江戸との交流の中で港町として発展した歴史を持ち、東京・成田空港に近く江戸情緒を体感できる町並みや風景が残ることから、2016年(平成28年)に「北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み」として文化庁のシリアル型(ネットワーク型)日本遺産に認定されている。 2017年(平成29年)度からは、銚子市観光協会が中心となって銚子版DMO(Destination Management Organization)構築による観光まちづくり事業が持続可能戦略として推進されており、2022年(令和4年)に登録DMOとして観光庁の指定を受けた。 観光名所 犬吠埼灯台 君ヶ浜 屏風ヶ浦 犬吠埼 - 日本列島で最も早く初日の出を拝むことができる関東最東端の岬。東映オープニング映像「荒磯に波」は犬吠埼にて撮影されたものである。 犬吠埼灯台 - 英国技師リチャード・ブラントンによって設計され、1874年(明治7年)に点灯した灯台。国産煉瓦を使用した最古の西洋式灯台で、煉瓦造り建設物としては日本で最も高い31.57メートル。国の重要文化財。 犬吠埼灯台資料展示館 - 犬吠埼灯台敷地内の灯台資料展示館。初代レンズ、リチャード・ブラントンの資料、灯台の歴史等の資料を展示。 犬吠埼遊歩道 - 灯台下の磯づたいに整備された遊歩道。国指定天然記念物の白亜紀浅海堆積物や太平洋の荒波が岩礁に砕けるさまを間近に見ることができる。 犬吠埼温泉郷 - 太平洋を眺望する関東最東端の温泉郷。中生代白亜紀の地層から湧出し化石海水と呼ばれ、海のミネラル分を多く含み保温保湿効果が高い。海岸沿いにはホテルや旅館が立ち並ぶ。 犬吠テラステラス - 2019年(平成31年)にオープンし、カフェ・ベーカリー・野菜マルシェ・地元名産品を扱うマーケット・ハンモックテラス・クラフトビール醸造所・体験ワークショップスペース等が入った地域情報発信施設。 君ヶ浜 - 犬吠埼北側約1キロメートルの日本の渚百選に選定された白砂青松の海岸。古くから関東舞子の愛称で親しまれ、海岸に沿って君ヶ浜しおさい公園が整備されている。夏の夕方には竹久夢二ゆかりの待宵草が咲く。 愛宕山 - 北総最高峰の標高73.6メートル。山頂の地球の丸く見える丘展望館からは、北は鹿島灘から筑波山、東と南は太平洋の海原、西は屏風ヶ浦から九十九里浜までの360度のパノラマを望む。フィリピンマヨン山を指す日比友愛の碑が建つ。 屏風ヶ浦 - 銚子半島南側に延々10キロメートル続く海抜40〜50メートルの東洋のドーバーと呼ばれる雄大な断崖絶壁。江戸時代から景勝地として親しまれ、歌川広重の浮世絵にも描かれた。国の名勝及び天然記念物。 銚子マリーナ - 国指定の海洋性レクリエーション拠点港湾である名洗港内に整備された外洋マリンリゾート拠点。収容隻数1000隻のヨットハーバーの他、海浜緑地公園、プロムナード、人工海浜が整備され、様々なマリンスポーツ大会が開催される。 イルカ・クジラウォッチング - 銚子の沿岸から沖合でのイルカ・クジラ類の乗船ウォッチング。 利根川河口 - 日本第2位の大河利根川が太平洋に注ぐ河口。古くは日本三大難所の一つであった。 銚子漁港 - 黒潮と親潮が交錯する好漁場の銚子沖合を控えて、日本有数の規模の特定第3種漁港。水揚数量は日本最大であり、広大な後背地に各種水産物流通加工施設が立地操業している。第一卸売市場は国内初の高度衛生管理型市場として2015年(平成27年)にリニューアルオープンし、見学者用の通路や銚子市漁業協同組合直営の食堂「万祝」が新設された。市場前には海鮮料理店が軒を連ねている。 銚子ポートタワー - 水産都市銚子のシンボルである高さ57.7メートルのツインタワー。海抜60メートルの展望室からは、銚子漁港の水揚げ風景や行き交う漁船、太平洋と利根川河口を眺望できる。 水産物即売センター「ウォッセ21」 - 銚子ポートタワー隣接の海鮮市場。地元業者が海の幸を取り揃え販売する。2階は和洋海鮮料理のシーフードレストランうおっせ。 外川漁港 - 江戸時代の紀州移民が開発した漁港を基に整備が進む沿岸・沖合漁業基地。釣船の基地でもある。 外川の町並み - 銚子市南端の港町。江戸時代初期、紀州移民の崎山治郎右衛門によって漁港を中心に碁盤目状の町割がなされ、古き良き漁師町の面影を残す。日本遺産に登録されている。 千騎ヶ岩 - 外川漁港内の標高17.4メートルの岩礁。源義経が兵千騎で立て籠った伝説の岩。千葉県最古の地質時代の硬質砂岩で、海岸植物自生地として千葉県指定天然記念物。 犬岩 - 名洗港南防波堤近くの海中の巨岩。奥州に逃れた源義経がここに残した愛犬が主人を慕って7日7晩鳴いて岩と化したとの伝説がある。 ヤマサ醤油・ヒゲタ醤油工場 - 夏涼しく冬暖かく適度な湿度という気候風土、良質な水、利根川水運に支えられて400年の歴史と伝統を誇り、国内トップクラスの大手醤油メーカーである。 ヤマサ醤油しょうゆ味わい体験館 - 2016年(平成28年)にオープンしたヤマサ醤油工場見学施設。醤油醸造の歴史・道具を展示する他、売店や体験コーナーが併設されている。ツアーでは原料サイロ、麹室、仕込蔵等の見学や醤油醸造過程のバーチャル体験ができる。 ヒゲタ史料館 - ヒゲタ醤油工場内の史料館。醤油醸造の設備・道具・容器・博覧会受賞メダル、会社年表、製品200点を展示。醸造蔵内に描かれたフレスコ画の大壁画「天地人」が見学できる。 銚子電気鉄道線 - 1923年(大正12年)創業の私鉄6.4キロメートル。銚子駅と外川駅を結び、ノスタルジックな車両や駅舎、車窓に広がるキャベツ畑の風景で市民や観光客に親しまれる。 銚子大橋 - 1962年(昭和37年)に利根川対岸の茨城県と結んで開通した長大橋。2013年(平成25年)に架換事業が完了し水面から主塔最上部まで60メートルの斜張橋となり、旧大橋になかった歩道も新設された。 河岸公園 - 利根川と新銚子大橋を眺望するビューポイント。ウォーターフロント空間散策の拠点として旧渡船場跡地に整備された。 利根かもめ大橋 - 2000年(平成12年)に銚子大橋上流約8キロメートルで茨城県と結んで開通。カモメの羽ばたきをイメージしたデザインが特徴。 ハーブガーデンポケット - ツリーハウス、グリーンショップ、ドッグランを併設した海辺のハーブ園。 レインボーヒルズカントリークラブ - 利根川を眼下に見下ろす林間コースのゴルフ場。27コース。 犬吠埼遊歩道 犬吠埼温泉郷 地球の丸く見える丘展望館 銚子ポートタワー 外川の町並み(本浦通り) 銚子電気鉄道線 社寺 川口神社 - 利根川を一望する丘上にあり、銚子港の守り神として漁業関係者の信仰が篤い。古くは安倍晴明と延命姫の伝説から白紙明神と称された。 猿田神社 - 千葉県指定天然記念物の樹齢数百年の森に囲まれた本殿は千葉県指定文化財。毎年11月には七五三祝いの多数の参詣客がある。 渡海神社 - 外川の日和山から高神に移り、郷土の人々の篤い信仰を集めている。神社の森は陽樹林から陰樹林へと変わった極相林で千葉県指定天然記念物。 海上八幡宮 - 802年(延暦21年)に宇佐八幡を勧請。海上郡六十余郷の総鎮守として総社八幡と称された。旧暦8月15日には神輿渡御後、流鏑馬が行われる。 銚港神社 - 創建は養老年間。旧称を龍蔵権現といい、主祭神は龍神の闇淤加美神である。 白幡神社 - 江戸時代から毎年高崎藩と仙台藩から寄進があり銚子における流通業や醸造業の中心地として多くの商家に支えられた。境内には石巻の船乗りが奉納した庚申塔が残る。 菅原大神 - 祭神は菅原道真。古来より桜井の鎮守として遠近の信仰が厚く、別名子宝神社と称される。奉納されている子宝石を抱くと子宝に恵まれると伝えられる。 飯沼観音 - 728年(神亀5年)開基の真言密教の古刹。坂東三十三箇所観音霊場の第二十七番札所であり、多くの参詣客が訪れたことで門前町が発展した。 妙福寺 - 妙見様と称され、境内の臥龍の藤の花すだれ鑑賞の来遊者が多い。 常燈寺 - 常世田薬師の名で深く信仰されている。木造薬師如来坐像は国の重要文化財。毎年1月8日に一般公開。本堂も千葉県指定文化財である。 満願寺 - 巡礼の歴史と伝統を受け継いで開創。本尊と西国・坂東・秩父霊場や四国八十八ヶ所霊場の本尊を観請して奉安してある。 浄国寺 - 浄土宗第三祖然阿良忠上人によって1256年(建長7年)に創建。境内には樹齢百年の雌雄一対の大銀杏、松、梅等の古木があり、開花時期には多くの人が訪れる。江戸時代には望西台と呼ばれる庵があり、渡辺崋山や小林一茶を始めとする多くの文化人が訪れた。 等覚寺 - 1390年(元中7年)頃、中島城主海上山城守が観音・薬師・地蔵の三尊像を安置したことが創始で、成就院と称された。室町時代から江戸時代初頭にかけて銚子地方を領地した松平外記の菩提寺である。 東光寺 - 徳川家康から寺領を寄進され真言密教の道場として発展。境内を取り囲むように樹齢150年以上のイヌマキの群落が形成されている。 川口神社 猿田神社 飯沼観音 妙福寺 史跡 粟島台遺跡 - 縄文時代前期から後期の遺跡。竪穴住居跡や土器、石器、琥珀装身具、漆塗土器や木製品が出土している。 余山貝塚 - 縄文時代後期から晩期を中心に、標高7mの微高地の集落により形成された貝塚。貝輪、釣針、モリ、ヤス等の骨角製の漁具や土偶が出土している。 野尻古墳群 - 利根川を望む台地上に残る前方後円墳一基、円墳八基、方墳三基からなる古墳群。墳丘の規模及び立地条件から古墳時代後期に築造された。 中島城本丸跡 - 鎌倉時代から銚子地方を治めていた千葉氏一族の海上宗家の居城で、1590年(天正18年)に落城。城郭の遺構が大規模に造られており、戦国時代の築城である。 千人塚 - 古くからの難所であった銚子沖・川口での遭難者供養のために築かれた塚。海難漁民慰霊塔は漁民等の浄財で1960年(昭和35年)に建立。 美加保丸遭難者墓碑 - 1868年(慶應4年)8月、榎本武揚率いる幕艦8隻中の1隻が暴風雨で黒生沖に座礁。死亡した美加保丸乗組員13人をいたむ墓碑が建立された。 飯沼陣屋跡 - 銚子地方が高崎藩領となった1802年(享保2年)に陣屋が設けられて郡奉行と代官が派遣常駐し、明治に至るまで存続した。陣屋町の地名が残り、陣屋跡碑が建つ。 義経伝説 - 銚子には悲劇の英雄である源義経にまつわる伝説が多く残る。奥州に落ちのびる義経一行が立て籠った千騎ヶ岩、海岸に残した愛犬が吠え続けて岩と化した犬岩、その声が届いた犬吠、九郎判官がなまって名付けられた大小2つの宝満の岩等である。 文学碑 松尾芭蕉「枯枝に からすのとまりけり 秋の暮」 小林一茶「此臺の清風たゝちに心涼しく西方仏土もかくあらんと 本とゝす 爰をさること 遠からす」 古帳庵「ほととぎす銚子は国のとっぱずれ」 国木田独歩「なつかしき わが故郷は 何処ぞや 彼処にわれは 山林の児なりき」 竹久夢二「まてど暮らせど来ぬ人を宵待草のやるせなさ今宵は月も出ぬさうな」 小川芋銭「銚子灘朝暾 大海を 飛びいつる如と 初日の出」 尾崎咢堂「朝またき 彼方の岸は アメリカと 聞て瓜立つ おはしまのはし」(瑞鶴荘にて) 尾張穂草「わかれても故郷の海のあいいろが目にあり秋のさびしくあるかな」 高浜虚子「犬吠の 今宵の朧 待つとせん」 佐藤春夫「ここに来て をみなにならひ 名も知らぬ草花をつむ みづからの影踏むわれは 仰がねば 燈台の高さを 知らず 波のうねうね ふる里のそれには如かず ただ思ふ 荒磯に生ひて 松のいろ 錆びて 黝きを わが心 錆びて黝きを」 若山牧水「ひさしくも見ざりしかもと遠く来てけふ見る海は荒れすさびたり とほく来てこよひ宿れる海岸のぬくとき夜半を雨降りそそぐ まともなる海より昇る朝の日に机のちりのあらはなるかな」 源俊頼「磐はしる 外川の滝の むすぶ手も しばしはよどむ 淀むせもあれ」 海水浴場 長崎海水浴場 海鹿島海水浴場 - 周りを岩礁に囲まれたプール状の海水浴場で、子供連れ、磯遊びに適す。 長崎海水浴場 - 沖合に岩礁を積んだ犬吠埼灯台を望む海水浴場。磯遊びも可能。 銚子マリーナ海水浴場 - 東洋のドーバーと言われる屏風ヶ浦を背にした波静かな海水浴場。 宿泊施設 銚子プラザホテル ホテルサンライズ銚子 ぎょうけい館 JR銚子駅周辺にはビジネスホテルが、犬吠埼から酉明浦にかけての海岸沿いには観光ホテルが立地している。 別邸 海と森 スパ&リゾート犬吠埼太陽の里 ぎょうけい館 絶景の宿 犬吠埼ホテル 犬吠埼観光ホテル ホテルニュー大新 銚子プラザホテル ホテルサンライズ銚子 ビジネスホテルいずや ホテル近江屋 文化・名産 銚子は関東地方の東端であるとともに、近世の利根川東遷以降は、その河口部という性格をあわせもつようになり、各地との人や物資の交流の中で、独自の産業や文化が発展してきた。とりわけ、漁業や醤油醸造等の様々な面で、紀州からの「黒潮文化」の影響を強く受けている。 民俗・芸能 川口神社 銚子の地名の由来となった利根川河口は、船頭に「阿波の鳴門か銚子の川口、伊良子渡合が恐ろしや」と謳われ、日本三大海難所の一つであった。「銚子川口てんでんしのぎ」という言葉も残り、川口の難所ではともかく自分の船だけ守るのが精一杯という厳しい状況であった。海の厳しさに生きる個々の人の信心と加護を祈る気持ちから、利根川から海岸沿いに名洗にかけては弁天、金毘羅、恵比須等を祀った小さな祠が多く見られる。銚子の祭りは漁業地の風土に由来する豪快さで知られ、その特色は神輿をもみ合う独特な担ぎ方とヨーイヨイヤセという掛声にある。 銚子大漁節 - 1864年(元治元年)、銚子は今までにない大漁で、港はイワシの銀鱗で埋め尽くされた。この大漁を祝い「銚子大漁節」が作られて川口神社に奉納され、その後松岸開新楼が名物にしたことで花柳界の御座敷歌となり、全国的に流行していった。銚子を代表する民謡であり、銚子では盆踊りや宴席等で披露される。 銚子はね太鼓 - 江戸時代から銚子に伝わる勇壮な祭り太鼓。太鼓を二人の打ち手が担ぎ上げ、首と肋骨で太鼓を支えながら打って跳ね、跳ねては回り、太鼓もろとも宙を舞う。「ねかせ打ち」では、担ぎ手の一人を抱え込み地に這わせて太鼓を打つ。 銚子弁 - 銚子の方言は関東の方言の特徴に、関西方言と東北方言の特徴を合わせ持つ。言葉の響きが重く、言葉の末尾に「べ」や「ぺ」を用いる他、カ行やタ行の濁音化、訛りが多いこと等が特徴で、威勢のよい漁師言葉であると言われる。戦前までは商工業地域、漁業地域、農業地域と地域ごとの話し言葉に特徴があった。 地名・人名・屋号 - 粟島町の由来が和歌山県加太の淡島神社を祀ったことによる他、人名に田辺、名島、崎山、湯浅、屋号に湯浅屋、広屋、紀伊国屋等、紀州の名残りが窺える。 民話 - 銚子に伝わる民話は、厳しい自然の中で助け合いながら、海に挑み、海を拓いてきた人々を語るものや漁民の信仰に関するもの、動物が登場するものが多いことが特徴である。 海亀の墓 - 銚子には亀が網にかかると酒をふるまい海に帰し、万一釣針にかかって死んだ時は、自分の祖先よりも立派な墓を作り敬うという習わしがある。亀墓は妙福寺や長崎、恵比須山等に見られ、川口神社の本殿までの長い階段の途中にはいくつもの亀墓が残る。 明神講・初午稲荷講 - 家を守る女性達は「明神講」「初午稲荷講」を開き、大漁と海に出た男達の安全を祈願した。 生切り - 新年最初に漁船を出すことを「生切り」と呼び、銚子では生切りをつとめた船は不祥なことが起こるという言い伝えがあった。このため各漁船の乗組員が生切りを避け、なかなか船を出すことができず、漁業組合は奨励金を出し抽選で第一船を決めていた。 川施餓鬼 - 毎年4月、川口の千人塚で妙福寺によって海難事故犠牲者の慰霊と供養の儀式が行われる。 じょうかんよ節 - 江戸時代、天明の大飢饉の際に高崎藩の代官として銚子陣屋に派遣されていた庄川杢左衛門が独断で藩の銚子米蔵を開き、銚子の人々を助けたという話が残り、杢左衛門を偲んで作られた民謡「じょうかんよ節」が市民の間で受け継がれている。 銚子歳時記 初日の出 - 関東最東端の犬吠埼は、山頂・離島を除き日本列島で最も早く初日の出を拝むことができ、全国から約6万人が訪れる。 常燈寺初薬師 - 年に一度の重要文化財・木造薬師如来坐像の御開帳。目の病に御利益があるとされる。 漕出式 - 一年の最初の出漁の際に海の安全と豊漁を願い、大漁旗を掲げた漁船が川口沖合を航行する伝統儀式。「乗り初め」ともいう。 中学校対抗銚子半島一周駅伝 - 毎年1月第二日曜日に開催される新春の風物詩。千葉県内外の70以上の中学校が参加する、関東近県では最大規模の駅伝大会。 菅原大神祭礼 - 奉納された約90個の子産石を抱くと子宝に恵まれるという言い伝えがあり、春と秋の祭礼の時に限り石を抱くことができる。 飯沼観音八日まち - 坂東三十三箇所観音霊場第二十七番札所の飯沼観音で、釈迦の誕生を祝う。 妙福寺藤まつり - 境内の「臥龍の藤」が見頃を迎える5月上旬の土・日曜日に開催。境内には茶店が立ち並び、日曜日には神輿が担ぎ出される。夜間にはライトアップが行われる。 大潮祭り - 大漁と航行安全を祈願する祭り。旧暦6月15日に執り行われ、漁業関係者の信仰の篤い川口神社や渡海神社の神輿が街を練り歩く。 浅間神社祭礼(浅間様) - 毎年7月第三土曜日に執り行われる約260年間続く例祭。「初山参り」とも称され、その年に子供が生まれた家庭では安産のお礼と守護を願う朝宮詣りが風習となっている。清水の坂には露店150軒以上が並び、多くの参拝客で賑わう。 海開き - 毎年7月上旬に銚子マリーナ海水浴場、長崎海水浴場、海鹿島海水浴場の3つの海水浴場がオープンする。 銚子みなとまつり - 毎年8月上旬の土・日曜日の二日間にわたって行われる銚子の夏の風物詩。一日目は利根川河畔に約5500発の花火が打ち上がる花火大会、二日目は約1000人の担ぎ手による銚子市役所前から飯沼観音までの神輿巡幸で、銚子の街は祭り一色となる。 海上八幡宮例祭 - 旧暦8月15日、中秋の名月の日に行われる。神輿渡御後、「お的」と呼ばれる流鏑馬神事が行われ、射た後の矢は縁起物とされている。 銚子農産まつり・銚子水産まつり - 川口外港とその周辺を会場として、銚子市内の農業・水産業の関係団体が一堂に会し、ダイコン・キャベツ等の新鮮野菜、銚子で水揚げされるキンメダイや生マグロ等の販売が行われる。 銚子さんまマラソン - 風光明媚な海岸線と銚子市街地を駆け抜けるコース。特設会場では炭火焼きサンマの無料配布とサンマの掴み取りが実施される。 黒潮よさこい祭り - 全国60チームが市内各所で演舞を行い優勝を競う銚子市民主催のよさこい祭り。名産品マルシェ、軽トラ市、ブランド肉祭りなどの各種イベントも同時開催される。 銚子マルシェ - グルメや地元野菜・雑貨販売の他、ワークショップ等が開催される。 東大社銚子大神幸祭 - 1102年(康和2年)に始まり、20年に一度東大社、雷神社、豊玉姫神社の三社が外川浜へ御渡しを行う。神輿行列の他、銚子市内の各関所において東大社の氏子らによる大名行列や剣舞等が行われる。 名産・特産品 大正18年のヤマサ醤油広告 ヒゲタ醤油商標 銚子つりきんめ - 銚子沖の深海から一尾ずつ釣り上げられる。「千葉ブランド水産物認定制度」第1号に認定。 生マグロ - 銚子で水揚げされるマグロは全て近海ものの生マグロで、非冷凍マグロとしての水揚量は日本一。 入梅いわし - 梅雨の時期に水揚げされる脂が乗ったイワシ。 極上さば - 銚子で水揚げされるサバの中で全体の1パーセントの一尾700グラム以上の特大サバ。 磯牡蠣 - 銚子付近の荒磯で採れる天然牡蠣。 灯台キャベツ - 露地栽培されている灯台印のブランド野菜。銚子は春系キャベツ生産量日本一を誇る。 銚子メロン - 第16回「日本農業賞」を受賞したアムスメロン。糖度16度以上は金印。 ダイコン - 銚子の内陸部で栽培される青首ダイコン。 伊達巻鮨 - 「漁夫のプリン」と称される銚子名物の細工鮨。 なめろう - おろしたイワシに味噌や長ネギ、青じそ、生姜を一緒にたたき合わせて作る漁師料理。 さんが焼き - イワシをペースト状にすり潰して小判型に焼いた料理。 ほお刺し - 銚子漁港に最も多く水揚げされるイワシを天日に干して作ったもの。カルシウムと栄養に富む。 佃煮 - カツオ、イワシ、サンマ等を醤油で煮込んだもの。 海藻コンニャク - 海藻のコトジツノマタを煮溶かして固めた郷土料理。色は緑灰色、寒天に似た食感。 のげのり - 銚子特産の乾燥海藻食品。味噌汁や吸い物等に使われる。 醤油 - 江戸時代初期に紀州から製法が伝わり、銚子市内ではヤマサ醤油、ヒゲタ醤油、宝醤油、小倉醤油が醤油を製造している。 ひ志お - 天然醸造、無添加の固形醤油。 清酒 - 石上酒造「銚子の誉」、小林酒造場「祥兆」等。 水産缶詰 - 煮魚や佃煮、魚を使ったカレー、つみれの入ったおでん汁等。 練り物 - 磯揚げ、半片、蒲鉾等。 ぬれ煎餅 - 焼きたてを醤油に浸した銚子名物の煎餅。銚子市の米菓店「柏屋」二代目横山雄次が考案し1963年(昭和38年)年に商品化。 犬吠の月 - 昭和天皇銚子行幸の際に献上した、栗を練り餡で包んだ菓子。 いわしサブレ - イワシパウダー入りのバター風味のサブレ。 第26回全国菓子大博覧会金賞受賞。 ピーナッツみそ - ピーナツを炒って味噌・蜂蜜・白胡麻で和えたもの。 木の葉パン - 銚子に古くから伝わる郷土菓子。 銚子エール - 「銚子の魚に合うビール」をテーマにしたクラフトビール。 銚子灯台コーラ - 銚子の空と海をイメージした青色のクラフトコーラ。 宮内庁御用達 ヤマサ醤油 - 1895年(明治28年)認定。関東初の認定 ヒゲタ醤油 - ヒゲタ高級割烹しょうゆ「本膳」 金目鯛の煮付け なめろう 海藻こんにゃく ぬれ煎餅 伝統工芸品 銚子萬祝式大漁旗 - 千葉県指定伝統工芸品。新造船の進水式の御祝として贈られた。江戸時代より継承される全行程が手作業の「萬祝式」という染色方により製作される。 銚子縮 - 千葉県伝統工芸品・無形文化財指定の織物。江戸時代から明治時代にかけて人気を博し「はやり糸銚子縮を着てお酌」という句も残る。大正時代を境に生産が絶えたが、戦後再興された。 籐製品 - 銚子では大正時代から籐製品工芸が盛んとなった。素材から製品まで一貫して手作業で行われる。 文化財 犬吠埼灯台(国指定重要文化財) 犬吠埼白亜紀浅海堆積物(国指定天然記念物) 磯角商店主屋(国登録有形文化財) 国・県指定および国登録文化財一覧。 番号 指定・登録 類別 名称 所在地 所有者または管理者 指定年月日 備考 スポーツ 高校野球 高等学校野球は高校のクラブ活動として学校体育の一環とされるが、銚子といえば高校野球といわれるほど古くから盛んで、市民の関心が極めて高い。1909年(明治42年)創立の千葉県立銚子商業高等学校は春8回、夏12回という千葉県最多の高校野球全国大会出場記録を保持しており、全国制覇の経験もある高校野球の名門校である。その豪快な打線は「黒潮打線」と称され、名将・斉藤一之監督の指導の下、木樽正明、篠塚和典、宇野勝ら20人のプロ野球選手を輩出している。 銚子と文学 川瀬巴水『犬吠の朝』(1931年・昭和6年) 犬吠埼 犬吠埼周辺は景勝地として古くから著名であったが、明治初期、西洋から健康増進のために海水浴が効果的であるという考え方が導入されて酉明浦一帯が海水浴場として開かれ、総武本線開通後、灯台見物とあいまって犬吠埼は一大観光地へと発展した。犬吠埼灯台は海抜25メートルの海蝕台地上に立ち、1874年(明治7年)に点灯している。設計者は英国人のリチャード・ブラントンで、国産煉瓦を初めて使用した西洋式灯台である。1885年(明治18年)には銚子の有力者が潮湯治客を相手にした海水浴旅館として暁雞館を創業した]。 国木田独歩 明治文壇に不朽の足跡を残した国木田独歩は、戸籍によると1871年(明治4年)7月15日、銚子に生まれている。通説では、難破した播州竜野藩用船の竜野丸に乗り込んでいた藩士、国木田専八が難破と共に負傷し、その療養のため飯沼観音門前の吉野屋旅館に滞在、そこで女中をしていた当地の淡路まんと結ばれ、2人の間に生まれた子とされている。門前町は銚子で最も殷賑を極めた界隈で、飯沼観音を中心に旅館、料亭、小料理屋、呉服店、芝居小屋等があり、観音裏は花街となっていた。郷土を離れてからの独歩はその短い生涯の大半を東京で過ごしたが、何度か保養のため帰郷し、宿泊先の暁雞館から妻に宛てて便りを書いている。彼の終焉は1908年(明治41年)6月23日、神奈川県茅ヶ崎市の結核療養所南湖院病室で、38歳の若さであった。その「病状録」には望郷の念を口述して知友真山青果に筆記させている。 余は水を愛し、雲を愛す。雲を見て空間の無限を恐れ、海を見て空間の無限を知る。然かも海に立つ毎に余は必ずしも対岸を思はざる事あらざるなり。夏の波は高く、冬の波は低し、土用七月の波、これを犬吠岬に見る。その壮観未だ忘るゝ能はず。河流を見て天智の悠久を知る。斯の水、斯の人、何の時か又相会はんや。利根の大流に潸然として涙を濺ぎし事ありき 「病状録」 明治を風靡した文豪の一人、徳富蘆花は「枕を撼かす濤声に夢を破られ、起って戸を開きぬ。時は明治二十九年十一月四日の早暁、場所は銚子の水明楼にして、楼下は直ちに大東洋なり。」に始まる「自然と人生」の一編「大海の出日」において、犬吠埼にあった海水浴旅館水明楼から見た太平洋に昇る日の出を、華麗で緊迫した文語体で微細に描き出した。 波の音に雑る鶏声に夢破れ、起きて縁側の戸少し開けば、海の面は猶ほの闇く、空には星爛々として下弦の月の光さやかなり。左手の方より時々白光のさし来るは、犬吠岬の燈台の回転するなり。己にして東の空少し朱黄色になりて、冷々としたる風の海面を撫づるままに、海は東より明けそめ、仰げば空の星は一つゝ消え、黄金の弓と見し月も今は白銀の光薄うなりつ。東の空は何時か燃ゆるばかり、朱紅色になり、見るが内に一分ばかり流を出づるものあり。眩ゆくして見るべからず。あゝ是れ日の海を出づるなり。真に瞬く間もなし。呀と云ふ間に、分より寸、眉よりして眼、鼻よりして口、今海を離るゝかと思へば一道の金ゆらゆらと万里の太平洋を駛りて、忽ち眼下の磯に到る頃は、吾が居る室内赫と明るくなりて、行燈の光白うなりぬ。顧みれば吾影黒う壁にうつりたり。銚子の日の出聞きしばゝ、今始めて見るを得き。 「自然と人生」大海の出日 「自然と人生」は当時のベストセラーとなり、自然を見る新しい目は旧来の花鳥風月の美意識を覆した。特に「雑木林」と「大海の出日」は明治の青年に衝撃を与え、犬吠埼の日の出へと人々を誘った。 伏見宮貞愛親王 こうした状況の中、伏見宮家別邸の用地として犬吠埼の地が選定され、1904年(明治37年)に瑞鶴荘が建設されている。敷地には主屋、茶室、潮見亭、撞球場などの建物があり、これらの建物や庭園は海岸の風景を借景とした設計がなされていた。伏見宮貞愛親王は66歳で没するまで毎年避暑や避寒のため銚子を訪れ、瑞鶴荘に滞在したとされる。貞愛親王没後の瑞鶴荘は銚子醤油社長を務めた浜口麟蔵に譲られ、1933年(昭和8年)には銚子出身の実業家で、後に塩水港精糖社長を務めた岡田幸三郎の所有となった。1940年(昭和15年)、瑞鶴荘に宿泊した歌人臼井大翼は以下の句を詠んでいる。 瑞鶴荘詠藻 門を入りて轍に撰く砂利のおとききつつ深し松林の中みち 松林のなだらに低き立秀越え月夜の海と天とつく見ゆ 三叉に吊りし庭燎はたちゆらぐ火村に爆ぜて火の子散るなり 席燎もゆる夜の火村の高さにて松間に海の水平光る 庭下駄の爪先ぬれて砂つける朝つゆの径に海の日のぼる 高村光太郎と長沼智恵子が出会った暁雞館 1912年(大正元年)夏には、暁雞館に宿泊していた高村光太郎が長沼智恵子と出会った。光太郎は智恵子を以前から知っており、この夏の犬吠埼で2人の間に強い繋がりが生まれた。詩集「智恵子抄」に付されている「智恵子の半生」にこの夏のことが書かれている。 丁度明治天皇様崩御の後、私は犬吠へ写生に出かけた。その時別の宿に彼女が妹さんと一人の親友と一緒に来ていて又会った。後に彼女は私の宿へ来て滞在し、一緒に散歩したり食事したり写生したりした。様子が変に見えたものか、宿の女中が一人必ず私達二人の散歩を監視するためついて来た。心中しかねないと見たらしい。智恵子が後日語る所によると、その時若もし私が何か無理な事でも言い出すような事があったら、彼女は即座に入水して死ぬつもりだったという事であった。私はそんな事は知らなかったが、此の宿の滞在中に見た彼女の清純な態度と、無欲な素朴な気質と、限りなきその自然への愛とに強く打たれた。君が浜の浜防風を喜ぶ彼女はまったく子供であった。しかし又私は入浴の時、隣の風呂場に居る彼女を偶然に目にして、何だか運命のつながりが二人の間にあるのではないかという予感をふと感じた。 「智恵子の半生」 この出会いの後智恵子は熱烈な手紙を書き送り、光太郎も「此の人の外に心を託すべき女性は無いと思うように」なって、やがて結婚した。光太郎は暁雞館で「犬吠の太郎」の詩も描いている。光太郎は銚子出身の詩人・画家である宮崎丈二との交流もあり、銚子との関わりが深かった。 海鹿島 犬吠埼周辺の観光開発の気運が盛り上がっていた中、1913年(大正2年)には銚子遊覧鉄道株式会社が設立され、同年12月に銚子 - 犬吠間が開業したが、1917年(大正6年)に廃止され、1923年(大正12年)に銚子鉄道として銚子 - 外川間が開通した。銚子鉄道の出資者で、仙台出身の資本家であった武田辰之助は銚子に移住後、1921年(大正10年)頃、海鹿島を保健別荘地区として開発造成して売り出している。海鹿島の名は沖の岩礁に明治時代まで見られたというアシカに由来し、大小無数の岩礁が作り出す明媚な風光が文人を魅了した。武田は同郷の縁から満洲開発時代、採掘事業等で世話になった舟橋了助(聖一厳父)に同所の別荘を提供した。舟橋聖一は東京帝国大学在学中から毎夏来銚していた。 竹久夢二 大正浪漫を代表する叙情画家である竹久夢二は、海鹿島を訪れた際に次の詩を作っている。 宵待草 遣る瀬ない釣り鐘草の夕の歌が あれあれ風に吹かれて来る 待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草の心もとなき 想ふまいとは思へども 我としもなきため涙 今宵は月も出ぬさうな 夢二は1910年(明治43年)夏に海鹿島を訪れ、宮下旅館に間借りをした。夢二はそのとき隣家の次女であった長谷川賢を見そめ、彼女を散歩に誘い出すことに成功した。海鹿島の松林の中には犬吠埼灯台へ行く白い路が延びており、夢二はここを通い路と名付け、逢瀬を重ねた。夢二は翌年再び海鹿島を訪れたが、賢はすでに鹿児島の教師のもとへ嫁入りをしていた。この詩は、夢二が失望のあまり当てもなく海鹿島海岸をさまよっていた時、海岸に咲き乱れる宵待草によせてわが身の悲恋をうたったものである。原詩は3行詩の形に改められて、1923年(大正12年)発行の「どんたく」に掲載された。これにヴァイオリン奏者・多忠亮がメロディーをつけて、一世を風靡した。 河童の絵で有名な日本画家の小川芋銭は、1923年(大正12年)、東京三越の展覧会が終わった直後、後援者であった篠目八郎兵衛の勧めにより、海鹿島海岸の高台にある篠目別荘で休息した。芋銭は逗留中に「樹間如水人如魚」や「水魅戯」を描き、海鹿島海岸に魅せられた。翌年、海鹿島を再度訪れた芋銭は篠目別荘を「潮光庵」と名付けて半年間逗留し、その後も毎年のように来て、多くの名作を描いた。1933年(昭和8年)、芋銭は皇太子明仁親王の誕生を賀して、次の句を詠んでいる。 大海を飛び出づる如と初日乃出 銚子灘朝暾 女流作家平林たい子は大正末期に短い期間であったが文学仲間と銚子で流浪の日々を送ったことがあり、そのときのことを自伝小説「砂漠の花」に書いている。銚子に流れてきたときの平林たい子はプロレタリア文学を志しており、同行の仲間はアナーキスト・グループで、海鹿島の別荘を借りて滞在していた。銚子には同じくアナーキズムに傾倒し、プロ文学の同人誌を作っていた仲間がおり、彼らと交流があった。平林たい子は銚子のレストラン「巽軒」で働いていたが、これと前後して、同じ女流作家の林芙美子も近くの「第二仙松軒」というカフェーで女給をしていたことがあった。当時はエロ・グロ・ナンセンス時代と呼ばれた退廃的な享楽主義が瀰漫するカフェー全盛の時代であった。銚子でもカフェーが流行し、人々は和服にエプロン姿の女性に都会的なモダニズムを味わった。林芙美子は1940年(昭和15年)に君ヶ浜の杉山平助別荘に泊まり、潮騒に眠りを妨げられるまま壁面に「激しく寝がへりを打ちてかへりゆく波のうねり、犬吠の岬に来て何も忘れ果てたり」と鉛筆で書きつけたと伝えるが、建物は戦後失われた。 尾崎咢堂 銚子咢堂会の招きで来銚した尾崎咢堂(行雄)は、犬吠埼の瑞鶴荘で以下の句を作った。 朝またき彼方の岸はアメリカと聞きて爪立つおはしまのはし 銚子咢堂会は越川芳麿が主宰した。戦前は銚子で地方紙「極東新聞」を刊行しており、戦時中に反戦主義者として逮捕・投獄されたこともあった。1947年(昭和22年)には海鹿島に咢堂を迎える「思咢庵」が建てられ、そばにある「思咢庵美術館」には咢堂の遺品が集められている。 財団法人公正会 旧公正会館 1925年(大正14年)、ヤマサ醤油10代目当主濱口梧桐は学校教育における人物養成の不完全性に目を注ぎ、人物養成のために、私財30万円を投じて財団法人公正会を設立した。「公正」という名前には、私事を捨て大衆を基とし、最も公平に正しく運営するという理念が込められているとされた。翌年には住民のための図書館、勤労青少年を対象とする補修的な夜間学校及び集会場を併せ持つ公益的な施設として、公正会館を開館した。鉄筋コンクリート2階建ての瀟洒な建物で、低い石の柵に囲まれた植込みのある前庭が設けられ、銚子における文化の殿堂となった。1階は図書館・教室・事務室、2階は約500人収容のステージ付き大ホールになっており、会館では講堂と呼んだ。 図書館は閲覧室が3室あり、蔵書は開館時400冊で、文学書の他「国史大系」や「続群書類従」「広文庫」「史料綜覧」等の学術書も多くあった。その他、開架式の閲覧方法や館外貸出しも利用者に大きな利便を提供し、銚子の文化の向上に裨益するところが大であった。公正学院は働く青少年に中等学校程度の教育を施そうというもので、今日の定時制高校に相当した。公正会主催の事業は講演会、講座、展覧会、音楽会、芸能会その他多数で、講演会には各界一流の人々が中央から招かれた。当時の講師の揮毫帖を見ると、作家でいえば巖谷小波・菊池寛等のクラスが来銚している。会場は常にほとんど満員で、銚子にも知的に飢えた人々が多かったと見ることができ、その欲求にこたえた事業の意義は大きかった。こうした催しの他に、公正文化会や公正母の会、あるいは子供会・読書会というような会員制グループ活動も推進していた。このような活動を創意し展開できたのは、東京帝国大学出身の文学士であった初代館長兼学院長の小山文太郎の功績によるところが大きい。 1945年(昭和20年)3月、B29の大空襲により市街地はほぼ全滅したが、この建物は奇跡的に残り、臨時病院として使用された。1948年(昭和23年)、公正会は施設一切を市に寄付して解散し、20年余にわたる歴史に終止符を打った。寄付後の公正会館は銚子市公正市民館及び銚子市公正図書館となった。「公正」の名をとどめたのは、財団法人公正会とその創立者濱口梧桐を永く記念するためである。銚子出身の歌人であり、講談社の取締役や顧問等を歴任し、日本出版クラブ常任理事も務めた尾張穂草は、銚子公正図書館へ多数の児童図書を寄贈し、「穂草文庫」が作られている。 1946年(昭和21年)には銚子文化会が結成された。同会を結成し、あるいはまた会員としてこれに加わった者は、いわゆる知識人であった。同会の目的は、まず会員自身の教養を高めることであったが、同時に銚子における文化運動のリーダー的役割を果たそうという意図もあった。このような役割は戦前公正会が担ってきたものであり、その流れを汲むものであった。この銚子文化会を核として、折から結成されつつあった各種の芸術団体、学芸団体、趣味団体等が集まり、銚子文化協会を結成した。銚子文化協会は1963年(昭和38年)に銚子市文化団体協議会と改称し、戦後の銚子市における文化運動の主要な推進力となっていった。 外国人の見た銚子 ノーマン・メイラー 米国人作家ノーマン・メイラーは1945年(昭和20年)の9月から翌年春まで半年の間銚子に滞在した。メイラーは短編「The paper house」で銚子について描いている。 ぼくたちは…裏道や山道をジープでとばし、それから海岸へおりていって、波打ちぎわをぶらぶら歩いていった。美しい景色だった。なにもかもまるで、マニキュアみたいにみがきあげているように見えた。 ぼくたちは小さな松林を過ぎて、小っちゃな谷間にはいり岩石のふところにだかれている小さな漁師町を通りぬけて、ピクニックをしたり、話をしたり…とても楽しかった。 「The paper house」(山西英一訳) メイラーは1946年(昭和21年)5月に帰国して「裸者と死者」を書き上げ、発表と同時に全米でベストセラーとなり、世界的にもまた大きな反響を巻き起こした。作中に登場する日系少尉イシマルの生まれ故郷は銚子で、彼は日記に望郷の思いを綴り、故郷を見ずして戦死するが、その日記を読むワカラは「日本にいたとき銚子を訪れ」ていたことになっている。 2哩ばかりの銚子の半島は、日本全体の縮図だった。太平洋にむかって、数百フィートの高さに切り立った、大絶壁があった。まるでエメラルドみたいに完全で、きちんとつくられた豆絵の林、灰色の木と石塊でつくったちっちゃな漁師町。稲田。悲しげな低い丘。魚の臓腑や人糞が鼻をつく、銚子の狭苦しい息もつまりそうな町。ものすごい人だかりの漁港の波止場。何ひとつむだにするものはない。土地という土地は一千年の長きにわたって、まるで爪の手入れみたいによく手入れされていた。 「裸者と死者」(山西英一訳) メイラーは米国から小説の訳者山西英一に送った手紙ではしきりに日本を懐かしみ、「日本はかつてぼくが見た最も美しい国としてぼくの記憶に生きています」と書いている。 この他、銚子には明治から昭和にかけて、島崎藤村、与謝野晶子、若山牧水、佐藤晴夫、高浜虚子、久米正雄、前田夕暮、田山花袋、尾崎紅葉、吉田絃二郎、窪田空穂、大町桂月、斎藤茂吉、岡倉天心、中里介山、内田百閒ら数多くの文人、歌人が訪れている。

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